2020年5月9日
神社の片付け
GW中に、地元、源上神社周辺の伐採が行われた。
10本以上切ってもらったので、
鬱蒼としていた神社がすっきり、明るくなった。
伐採された木を片付けるのが、今日、私達村関係者のお仕事で
チェンソーを使える8人が集まった。
木は一昔前、財産だった。
燃料として自分の生活の糧となり、
薪や炭として販売し収入を得ていた。
私はこの源上という集落に移住して18年になる。
今日集まったメンバーのお父さん達から
色んな話を聞きながら
木や自然、山への思いを教えてもらい
村の中の木を一緒に管理して来た。
だから、木を切ることは、
私に直接話しをしてくれた世代は勿論、
その先代達の思いも切るわけで、
ちょっと切ない気持ちになる。
そして、生えている木を切る行為は
どこか肉を食す行為に似ていると、
いつも思う。
自分の命はずっと続くと思っていたのに、
ある日突然、絶たれるのである。
今の時期は、根っこから水を吸い上げているから、
切った断面から樹液が飛んで来たりすると、
そんな想いはますます強くなる。
自分の営みの為に命を捧げていただくことに
感謝を。
無駄なく、使わせていただきます。
燃えて灰になったら、田畑に撒き、土に返っていただきます。
木は勿論、守って来た村の先代達の思いも
踏みにじってはいけない、と思う。
今回伐採してもらった桜ともみが材になる。
身勝手な解釈だけど、
木も、先代達も、誇らしく思ってくれないだろうか。
食べることは勿論、燃料も地元で自給自足。
しかも、村の皆が喜んで協力してくれる。
今日一番の長老が、一番若手の天平くんに
太い松を楔を2つ使って割る方法を伝授。
これは、私も知らなくて、びっくりだった。
先輩達から我々へ。
皆の思いを一杯もらった一日だった。